平成21年12月定例議会一般質問

1.第4次高萩市総合計画について
2.行財政健全化計画について
3.平成22年度予算編成について


1.第4次高萩市総合計画について
  第3次総合計画の総括を踏まえて
 @5年後、10年後の高萩市のビジョン
 A計画体系・基本構想
  ・基本理念
  ・構成
  ・表現手法、具体性
 B計画作成手順とタイムスケジュール

2.行財政健全化計画について
  政権交代、経済不況の影響と地方交付税の見通しを踏まえて
 @健全化とは何をもって健全化と言うべきか
 A交付金、交付税等の外的要因の変化にどう対応するのか
 B税収の変化と健全化の効果等、内的要因を安定できるか
 C受益者負担の考え方と政治的判断による政策バランス
 Dあえて聞く、次なる健全化策はあるか

3.平成22年度予算編成について
  事業仕分けの本意を確認しつつ
 @総合計画と健全化計画と来年度予算の相関関係は一貫しているか
 A予算がかからない、または少ない施策、そして効果的効率的な施策
 B費用経費負担率が大きくなるが外せない施策事業の考え方(基準)
 C要望等



 こんにちは。公明党の今川です。私は通告いたしました3項目について質問いたします。
 1項目目、第4次高萩市総合計画について質問いたします。
 ご存じの通り第4次高萩市総合計画は平成23年度を初年度とする計画で、前期5年、後期5年の10年間の計画です。
 市政はこの計画に基づき営まれ、さらにその積み重ねによって後々の市政に影響することになります。
 強いて言えば現在の高萩市の財政問題などは、以前の計画を遂行執行してきたが故の現況なのだと痛感しなければなりません。非常に重大なテーマなのであります。
 この総合計画については先の3月議会でも取り上げましたので、その後の流れを確認しながら質問を進めたいと思います。
 まず、3月の質問で、これから計画を策定するに当たっては、これまでの計画の総括が必要であると申し上げました。その答弁には「第3次総合計画後期基本計画」の実施状況等について検証を行うよう事務を進めるとありました。確認しますが、現在の進捗状況はどうなっているかお知らせください。また、その検証結果はどのような形で示され、公開されるのか伺います。その上で以下の4点について質問致します。

 1点目の質問です。
 3月にも聞きましたが、高萩市の将来のビジョンをどのように描いておられるのか。3月でのお答えは抽象的でイメージが見えませんでしたし、3月から9ヶ月が過ぎ、総合計画策定が目の前に迫ってきた時期になりましたし、市長1期目の終盤でもあります。
 とにかくイメージできるビジョンを示せなければ、議論になり得ないし、この先何も進められないと思います。
 市長は市民に5年後の10年後のビジョンを指し示し、希望を持たせるリーダーシップが必要です。任期が僅かになろうが、次は無かろうが、今現在市長である責任だと思います。ビジョンを語れますか?
 もし話が長くなるようなら、後日書面で発表していただけますか?

 2点目の質問です。ここからはより具体的な質問になります。
 将来のビジョンに向けて、総合計画を策定するわけですが、その内容について、どういう基本構想・計画体系をつくりあげていくのか、基本理念、構成、表現手法や具体性など、考えがありましたらお聞かせください。

 3点目の質問です。計画の策定手順とタイムスケジュールについて、たとえば、いついつ審議会を立ち上げて、策定の流れを造り、アンケートを検討し、など、いつ頃何をどうするかということが知りたいわけです。現況をお知らせするだけでは不十分ですので、タイムスケジュールと実施内容が網羅できる総合計画策定進行表たるものをいただけますか?お答えください。



 2項目目の行財政健全化について質問致します。
 まず私ども公明党の行財政健全化に対する基本的なスタンス、考え方の要点を申し上げますと、
 ひとつには、自分たちの世代でつくった借金は自分たちの世代で返す。子孫の世代に押しつけてはいけない。ということ。
 二つには、市民サービスをカットする前に市民の奉仕者である公職の待遇を切りつめるということ。
 三つには、公職の資質の向上と市全体のモラルの向上が最善の健全化に結びつくということ、
 そしてまじめに健気にがんばる市民が報われる、損をしてはいけないまちづくりを目指す。こうした考え方の根幹をもって議会活動しているところであります。今回もそうですが毎回の議会質問も根幹は替わりません。視察研修も同じであります。このことをまず申し上げておきたいと思います。
 さて、国では政権交代がなされ、数ヶ月が経った今、政権交代への期待とは裏腹に、いろんなところでの問題が起きてきました。特に大きな問題は地方の負担が不明確であり、交付金がカットされ、交付税が削減され、たたみかけるように地方負担が激増するかもしれない様相になってきたということであります。
 その象徴とも言うべき事業が民主党の目玉政策であり、多くの国民が注目を集める「子ども手当」です。
 子ども手当の何が問題か。簡単に説明すると、子ども手当に必要な財源が未だに確保されていないということです。
 子ども手当にどれくらいお金がかかるのか。国では5兆300億円です。高萩市に換算すると約15億円ぐらいになると思います。
 ちなみに現在の制度である児童手当にかかっている経費は2億2千万円ですので、実に7倍から8倍の経費がかかるのであります。
 民主党は全額国費で賄うと言ってましたが、未だに財源が確保されていません。このままでは地方に負担を求める以外に実施できない様相なのです。そうした場合、たとえば現在の児童手当と同じような負担割合を求められたらどうなるか。高萩市では約4億円以上の負担になる計算です。とても出来るものではないと思います。
 このようにごちそうを並べられて、おいしいものをただで食べられると思わされて、国民が選び出来てしまったのが民主党連立政権です。今現在はまだはっきりしたものが見えない闇鍋状態ですが、徐々に明らかになれば、いやというほど大変な問題になり、大きな負担が見えてくると思われます。それでも選挙で選ばれた政権ですので、政権が代わるまではその政権下でやっていかねばならないわけです。
 こうした政権交代の影響や鳩山不況と言われる経済不況とデフレ円高という経済状況が、我が市に及ぼす影響は計りしれません。しかしそれに対応しなければなりません。そこで行財政健全化について5点質問致します。

 1点目はあらためて確認したいのですが、健全化健全化と言いますが、何をもって健全化と言えるのか。言おうとしているのか。言うべきなのか。お聞かせください。

 2点目、先ほど例を挙げましたように今後交付金や交付税が削減される等、変化されるのは免れないと思います。そうした外的要因の変化に対し健全化計画をどのように対応するのか、伺います。

 3点目、今後の税収の落ち込みが憂慮されますし、これまでの健全化によって得られた効果が消えて無くなってしまうのではないかと心配しております。執行部としては健全化計画の内的要因を安定できると考えられるのか伺います。

 4点目、私はかねてから健全化にとって重要な要因は、受益者負担の公平公正化であると訴えてきました。市長の言う選択と集中は政治的判断による政策であって、受益者負担の考え方とは対局になるものでしょう。政治はそのバランスをいかにつくるかということではないでしょうか。所見を伺います。

 5点目、健全化計画は達成目標を持った計画だと理解しておりますが、現在の社会状況を見ると、はたして目標通りに行くかどうか。目標を達成させるためには次なる健全化策をやらなければだめじゃないか。
 あえてお聞きしたい。次なる健全化策の構想はあるのかどうか伺います。



 3項目めの平成22年度予算編成について質問致します。
 国では先日まで事業仕分けなるものを行い、来年度予算を国民の前で行政の無駄を洗い出し、マスコミにも大きく取り扱われ、民主党はがんばってるじゃんと言われると思っていたのでしょうね。残念ながら思惑通りには行くはずありません。あの事業仕分けは始めからおかしいものでした。その始まりだけは言っておかなければなりません。
 あの作業はいったい何を事業仕分けしたのか。多くの国民が前自公政権が行ってきた無駄な事業を削ったと思っているとしたら大間違いです。あれは、民主党政権になってから、来年度予算をたてるために各省庁の概算要求を出させて、その内容から事業仕分けをしたのであり、なんのことはない、95兆円もの今年度を7兆円以上上回る概算要求をつくり、そこから1兆数千億円を削減しただけのことで、見る人が見れば目が点になるような猿芝居パフォーマンス。。。あきれて開いた口がふさがりませんでした。
 私は事業仕分けについて、ちょうど4年前の2005年12月議会の一般質問で取り上げました。国内の自治体では2002年から導入して効果を上げているところもあります。事業仕分けというのは今新しく民主党政権が始めたわけではないですし、しかもやり方もその内容も間違っています。
 予算編成をする上で事業仕分け作業が大変重要な作業になるという意味で持ち出しましたが、国のことは時間がなくなりますのでこのくらいでやめておきます。

 さて来年度予算編成についてお聞きしますが、先ほど質問致しました1項目目の総合計画と2項目目の健全化計画と来年度予算は、その相関関係において一貫性を持ち、整合性が取られなければならないと考えます。所見を伺います。

 2点目は予算の内容になってきますが、まずどう考えても来年度予算は厳しいものになるということは間違いないでしょう。しかしながら何も出来ないわけではないはずと申し上げたい。事業施策には予算がかからない、または少ない予算で出来るものがあると思います。また効果的効率的に事業を展開すればより有効に予算配分ができると思います。そのような事業施策を考えていましたらお聞かせください。

 3点目は、予算はかかるけどどうしても外せない事業施策があると思います。たとえば福祉や子育て支援などになるのかどうか、考え方を伺います。基準があるのでしたらその基準も伺います。



<登壇2回目>
2回目の登壇になります。
私の今回の質問のテーマは「高萩市のこれからに希望をつくりたい」というものです。そこで希望についていろいろ調べてみました。おもしろいものが見つかりましたので紹介したいと思います。

東京大学社会科学研究所の「希望学プロジェクト」というものです。ネット上にサイトがありまして、その中の「希望を考えるコラム」から、東京大学社会科学研究所教授 橘川武郎氏 (きっかわたけお)の「偽物の希望」と「本物の希望」と題するコラム記事を抜粋します。以下コラム記事です。

「昨年7月15日に行われたシンポジウム「希望学宣言!」に参加して、少々びっくりした。当日はもちろんだが、準備過程および事後の反響をも含めた、その「盛り上がり」に対してである。みな、希望について熱く語り、希望学の行方がどうなるか固唾を呑んで見守っている。このこと自体は、希望学にかかわる一員として「喜ばしい」ことである。しかし、本心を言えば、それ以上に「恐ろしさ」を感じる。絶望が深いほど、希望への期待は高まる。希望学への反響が大きいということは、それだけ、現在の状況への絶望が深いことを意味するからだ。
ここで、一つの故事が脳裏をよぎる。
世界大恐慌の荒波にさらされたドイツでは、1933年3月に失業者数が、560万人に達した。しかし、その年の1月に首相に就任したある人物が、高速道路(アウトバーン)建設と国民車(フォルクスワーゲン・ビークル)普及に象徴される経済政策を展開した結果、わずか数年で、失業者数は50万人を割り込む水準にまで激減した。ドイツ国民は、この出来事を、その首相の名前にちなんで「○○の奇跡」と呼んで、称賛した。
問題は、その○○にはいる名前が、アドルフ・ヒトラーだったことにある。

失業克服で人気を得たヒトラーが、その後ドイツを、軍備増強、ユダヤ人迫害、第2次世界大戦の開始と敗北へ導いたことは、よく知られている。それは、ドイツ国民にとって、破滅へつながる道であった。大恐慌下で絶望の淵にあったドイツ国民は、ヒトラーに「希望」を見出し、そのヒトラーに従って破滅するにいたったのである。
ヒトラーがドイツ国民に与えた希望は、「偽物の希望」であった。絶望が深いときほど「偽物の希望」が横行することを、この故事は教えている。

私見ではあるが、希望学の使命の一つは、「偽物の希望」の横行をチェックすることにある。そのためにはまず、「偽物の希望」と「本物の希望」とを峻別することが必要になる。希望学が学問であることの根拠の一端は、この峻別をきちんと行うことにあると言える。
「偽物の希望」と峻別される「本物の希望」の要件は、何か。
その答えは、単純すぎて恐縮ではあるが、(1)目的の正しさと、(2)手段の適切さ、の2点に求めることができる。(1)はWHATにかかわる問題であり、(2)はHOWにかかわる問題である。
WHAT面での説得力とHOW面での説得力の両方を欠いては、「偽物の希望」といえども、成立することは困難であろう。大半の「偽物の希望」は、WHAT面での正しさか、HOW面での適切さかの、いずれかを有している(厳密に言えば、いずれかしか有していない)。
誤解をおそれずに言えば、ヒトラーがドイツ国民に「偽物の希望」を与ええたのは、失業問題の克服やドイツの復興という彼が掲げた目的が、ドイツ国民に対して説得力をもったからである。しかし、ヒトラーが採用した手段には、非人道的で邪悪なものが数多く含まれていた。WHAT面での説得力がHOW面での不適切さを覆い隠し、ドイツ国民は、ヒトラーの「偽物の希望」の罠にはまったのである。」云々。

 以上がコラム記事の引用です。鋭いと思いませんか?私は非常に考えさせられました。
 今回私が取り上げました総合計画も健全化計画も来年度予算も、市民にとって希望と映らなければならないのは言うまでもありません。また選挙でのマニフェストも言わば希望の約束です。しかし希望には偽物の希望と本物の希望があると言うのです。しかもこのコラムに拠れば見分けられると示されています。本当にいろいろ想像できます。国のことも市のことも。
 たとえば子ども手当はどうでしょう。目的の正しさについては、子育て世帯にはもらえたらうれしい限りの手当ですから正しいでしょう。
 手段の適切さはどうでしょう?まず財源が示されない。つまり手段が示されないということで、適切さ以前の問題です。これは偽物の希望でしょうね。だいたい財源が示されない政策はマニフェストと呼びません。たとえ後付で財源を示せても、その方法が公正でない方法ならばやはり適切とは言えません。たとえば扶養控除の廃止などは不公平な増税になりますから、適切ではありません。やっぱり偽物の希望です。

 感想とかありましたら聞かせて頂けますか?