一般質問 0612

1.高齢者生活支援サービスについて
  (仮称「ちょっとお手伝いサービス」事業の導入)
2.教育問題と子育て支援について
  @放課後子どもプランに向けて
   ・放課後子ども教室の実施
   ・今後のタイムスケジュールと目標
  Aいじめ問題について
   ・ベストセラー「国家の品格」を考える
3.来年度予算編成について
  @方針と考え方
  A「地方公共団体における行政改革の更なる推進のための指針」を踏まえて



 先に通告いたしました3項目について質問いたします。

 1項目目の高齢者生活支援サービスについては、市内高齢者世帯の方を対象に、普段の生活の中で「ちょっとのことなんだけど自分ではなかなかできない」など、比較的小さな問題や困りごとが発生したときに、ささっといって、ぱぱっとお手伝いするサービスです。
 すでに高萩市では今年度の夏頃から「軽度生活援助事業」を実施しておりますし、社会福祉協議会においては、高齢者に限らず広く市民のニーズに応えられる「在宅福祉サービス」を行っているということですので、本日の一般質問の項目から割愛させていただきまして、15日の文教厚生委員会の中で細かく質問いたします。
 よろしくお願いいたします。


 2項目目の教育問題と子育て支援に質問いたします。
 1点目は放課後子どもプランに向けて今後のタイムスケジュールと目標を、「放課後子ども教室」の実施を併せながらお示し頂きたいと思います。

 2点目のいじめ問題について質問いたします。
 いじめ問題についてはいろんな方がいろんなところでいろんな意見を述べております。当市としても昨日の中井議員の質問に答弁されていますように、具体的問題に取り組みながらその解決に、誠心誠意、心労を傾注されているものと理解しているところあります。
 今回私はこのいじめ問題について別の見方・視点から考えてみる機会がありましたので、そのことを紹介し、執行部の所感を伺いたいと思います。

 始めに最近考えさせられたとはどういう事かと言いますと、皆さんもご存じと思いますが、この1年で270万部を超え超ベストセラーになっている、藤原正彦著書「国家の品格」という本があります。約1年前に発刊され未だに売れ続けています。高萩市においても人口割合で単純計算すると、約1000人ぐらいの市民が読んでいると思われます。
 また、マスコミで取り上げられたり、今年の流行語として「品格」という言葉が挙げられるなど、どうしてそんなに売れているのか、興味を覚えましたので買って読んでみました。読んだ方はわかると思いますが、読みやすい口語的文章で書かれ、内容が、多くの人が常日頃から感じていながらも表現できなかったり、なかなか口に出して言えないことを、率直に語る気持ちよさみたいなものもあって、一気に読めてしまう本です。

 「国家の品格」は第1章から第7章までの構成で書かれています。その中から三つのポイントをピックアップしてみました。ここからは本文を引用し読んでみます。

 ポイント1番目、資本主義にも見事な論理が通っています。資本主義的個人は、それぞれが私利私欲に従い、利潤を最大化するように努める。すると、それが「神の見えざる手」に導かれて、全体の調和がとれ、社会全体が豊かになる。
 最近では一歩進んで「市場原理主義」になりました。何でも市場に任せれば一番効率的であり、国家の介入はできるだけ少ない方がよい。少しオーバーに言うと、経済に限定すれば国家はいらない。国家は外交、軍事、治安などを行うだけでよいということです。
 市場原理主義の前提は「まずは公平に戦いましょう」です。公平に戦って、勝った者が利益を全部とる。英語で言うと「ウィナー・テイクス・オール」というものです。公平に戦った結果だから全然悪いことはない。勝者が全部取って構わない。こういう論理です。
 しかしこの論理は、後ほど詳しく述べる「武士道精神」によれば「卑怯」に抵触します。大きい者が小さい者と戦いやっつけることは卑怯である。強い者が弱い者をやっつけることは卑怯である。武士道はそう教えています。
 しかし、市場原理主義ではそんなことに頓着しません。一本道のような論理で、全体を通してしまいます。

 ポイント2番目、どんな論理であれ、論理的に正しいからといってそれを徹底していくと、人間社会はほぼ必然的に破綻に至ります。言うまでもなく、論理は重要です。しかし、論理だけではダメなのです。どの論理が正しくて、どの論理が間違っているかということでもありません。これは日常用いられるすべての論理に共通した性質です。
 論理が破綻する三番目の理由は、「論理には出発点が必要」ということです。論理の出発点を選ぶのは論理ではなく、情緒や形なのです。
 いじめに対して何をすべきか。カウンセラーを置く、などという対症療法より、武士道精神にのっとって「卑怯」を教えないといけない。「いじめが多いからカウンセラーを置きましょう」という単純な論理にくらべ、「いじめが多いから卑怯を教えましょう」は論理的でないから、国民に受けません。
 しかし、いじめを本当に減らしたいなら、「大勢で一人をやっつけることは文句なしに卑怯である」ということを、叩き込まないといけない。たとえ、いじめている側の子どもたちが清く正しく美しくて、いじめられている側が性格のひん曲がった大嘘つきだったとしても、です。「そんな奴らなら大勢で制裁していいじゃないか」というのは論理の話。「卑怯」というのはそういう論理を超越して、とにかく「駄目だから駄目だ」ということです。この世の中には、論理に乗らないが大切なことがある。それを徹底的に叩き込むしかありません。いじめをするような卑怯者は生きる価値すらない、ということをとことん叩き込むのです。
 しかし、政府も官僚も「識者」と称する人たちも、戦後六十年もたち、「論理的に説明できることだけを教える」という教育を受けた人ばかりになってしまったのです。
 論理が通ることは脳に快いから、人々はこのようにすぐに理解できる論理、すなわち、ワンステップやツーステップの論理にとびついてしまう。従ってことの本質に達しない。いじめ問題なんか典型です。こみいった問題の解決を図ろうとしたら人間性に対する深い洞察が必要になる。

 ポイント3番目,私にとって幸運だったのは、ことあるごとにこの「武士道精神」を叩き込んでくれた父がいたことでした。 父からはいつも、「弱い者いじめの現場を見たら、自分の身を挺してでも、弱い者を助けろ」と言われていました。
 父は「弱い者がいじめられているのを見て見ぬふりをするのは卑怯だ」と言うのです。私にとって「卑怯だ」と言われることは「お前は生きている価値がない」というのと同じです。だから、弱い者いじめを見つけたら、当然身を躍らせて助けに行きました。

 以上、本文から抜粋して読ませて頂きました。ここで著者が言いたいのは、いじめのキーワードは「卑怯」という概念だと思います。そしてこのいじめ問題は大人が子どもに卑怯を憎む心を教えること、特に親が我が子に教えることを最重要としていると思います。

 そこで質問いたします。
 1点目、まず、卑怯を憎む心を育てるために筆者は武士道精神を復活させることを提案していますが、どのように考えますか?

 2点目、いじめ問題は学校等の教育現場と、家庭や地域、さらにはメディアを含む大人社会との関わりを無視できないと痛感していますが、大人側の責任を果たすための考えはありますか?

 3点目、学校教育の中で卑怯ということについてはどのような授業をしていますか?また、教職員の卑怯に対する意識調査を行うことをどう思いますか?

 4点目、この国家の品格という本については、当然賛否両論ありますが、今後もまだ売れ続けると思いますし、大人がこの先もなお、卑怯に対して目を向けない状況が続くとしたら、それは市長の言う魅力のあるまちづくりと言えますか? 


 3項目目、来年度予算編成について質問いたします。
 1点目は方針と考え方を伺います。

 2点目は総務省が8月末に公表いたしました、「地方公共団体における行政改革の更なる推進のための指針」を踏まえ、財政健全化を余儀なくされている高萩市にとって、今後はますます事業仕分け作業が重要になってきます。
 ことのほか市の事業施策が市民のニーズに見合っているかどうか、見極めていくことが非常に重要であります。
 そこで提案いたしますが、市民のニーズを調査するためにアンケート調査は大変有効とは思いますが、例えばアンケートによって市民の意識が変わることや、行政側が有利になるように、市民意識をコントロールすることへの危険性も無視できません。
 アンケートの作り方如何で誘導質問になり得ます。極端なことを言えば、総合病院が欲しいですか?という質問をすることで、いかにも総合病院ができるような錯覚を作り上げてしまいます。
 とはいってもアンケートを行った方がニーズは把握しやすいので、市民アンケート条例を制定することを提案します。
 見解を伺います。

(1回目終了)




(登壇2回目)

 再度質問いたします。
 いじめ問題についてですが、ある学生の話を紹介します。

「最近の大人もどうかと思うよ…
世間は、「最近の子どもは子どもは〜」っていうけど、大人はどうなんだ??(ん?
えぇ加減な大人も世の中にはたくさんいるんじゃないでしょか??
それをおいておいて、子どもばっかり取り上げて、ヤイノヤイノっていってるけど…
なんか、変なんじゃないかな〜??
こんなこと思うのは、私だけなんでしょうかね??
子どもが何とかって言う前に、大人がしっかりしてください。
「質のいい」大人になってください。
そうしたら、ちょっとくらいはマシになるんじゃないのかな??(アマイデスカ…??
みんながみんな悪い大人っていう話じゃなくて…
そういう悪いって言われる一部の人間を見ている子どもがいるから。
だから、いろんな変なことが起こってくるんじゃないんかね…???
だから、チョットみんなで考えてほしいかな…っていう気持ちが最近私のこころを占めているわけです。」

 耳が痛い話です。いじめ問題を考える場合、大人が子どもを守るためとか、大人が子どもを指導していくとか、子ども同士で助け合うとか、大人の話の中には「私が子どもの頃はこうじゃなかった」などと平気で言ったりしています。

 こういう無責任な大人社会で本当にいじめ問題が解決できると思っているのでしょうか?できないからこんなに大きな問題になったのでしょう。
 なぜできないんでしょうか?それは大人社会には全くと言っていいほど説得力がないからだと思います。大人が自分を省みず子どもに何を言おうが通用しないんです。

 国家の品格では卑怯者には品格はない。品格のない者は尊敬されることはない。尊敬できない人間の話など聞くはずがない。真剣に将来を考えるなら社会全体が品格を取り戻さなければならない。と言っていると思います。
 いじめ問題は今正に足下で起きている問題でありますので、現在抱えている個々の問題に誠心誠意対処していくことは言うまでもありません。それと同時に将来いじめのない町を目指すためには、大人が変わらなくてはならないと思います。

 次の予算編成についても併せて申し上げますが、おわかりのように現在の高萩市の財政状況は、大変厳しいものです。この状況からなんとか脱していかねばならないのは、市長を始め私たち市民の使命でもあります。
 380億もの借金を作ってしまったのは、明らかに草間市長以前の市政であります。まさに大人が作ってきたのです。にもかかわらず、この借金は子どもの代まで残されます。
 よく考えて下さい。380億使われたと言うことは、380億の公共事業があったということで、儲けた人がいると言うことです。
 質問しますが、公共工事で赤字になった業者はいますか?

 はっきり言いますが現在の財政状況は、市民福祉、市民サービスの低下を招いており、行政の市民いじめに他ならないと思います。草間市長のせいではなく、若い人たちのせいでもなく、広い意味での大人のせいだと思います。
 このような社会状況の中で、いじめがなくなると思いますか?
 今回の質問は、自らの反省を兼ねて行っていることをご理解頂きたいと思います。